旧七帝大 単年度合格者数最高記録

今回の記事では「旧七帝大に単一の高校から単年度に出た合格者数の最高記録」について特集します。

戦前から総合大学としての歴史を有する旧帝大は、国公立大の中では比較的定員が多く、高校別合格者ランキングを見るとトップの高校が100人を超える合格者を出していることも珍しくありません。

そうした上位常連校の実績にも、大学入学定員の増減、成績優秀者の進学志向、高校通学区の変更など様々な要因によるものと思われる時代変化がありますが、今回はその中で生まれた大記録にスポットを当てます。

なお、現時点ではすべての高校のすべての入試年について合格者数を把握しているわけではなく、入学定員の推移や前後の合格実績から「この期間に最高記録を達成したとは考えにくい」などと判断した箇所も含まれます。今後、データの修正に伴い本ページの記述も変更される場合がありますので、ご了承ください。

 

東京大

開成 205
(1998年)
東京・私立

 1982年以降東大合格者数トップの座を守り続け、累計合格者数日本一の開成が単年最高記録も保持しています。1977年以降三桁合格を継続していますが、200人を超えたのは3度あり、中でも1998年の205人が最多となっています。現役に限るとこの年の合格者数は136人で、2019年に同校が記録した140人を下回ります。

 同校の近年実績を見ると、2012年に203人、最新2020年に185人が合格するなど高い水準をキープしており、条件が重なれば記録更新があるかもしれません。合格者数ランキング上位常連の他校は、1学年の人数が開成の約400人と比較して、筑波大附駒場が160人程度、灘が220人程度と少ないため、「数」で上回るのは不可能でしょう。「率」の最高記録は卒業生数の資料が揃わないため正確には言えませんが、1970年の東京教育大附駒場(現:筑波大附駒場、136人)が該当しそうです。

 

京都大

洛南 150
(1992年)
京都・私立

 1970年代後半から急激に京大合格者数を増やした洛南は、1988年に100人の大台に乗せ、その後も1990年から2006年にかけて三桁合格を維持しました。その中で生まれたのが1992年の150人という記録です。東大・京大の合計でいえば1992年(東大41人京大150人)よりも、1995年(東大58人京大140人)の方が好成績です。

 同校の合格者数は2009年を最後に100人を割り、減少傾向が続いています。この一方で、学区が撤廃されるなどした大阪府立高校のトップ校が実績を伸ばし、2020年には北野が100人合格を達成しました。流石に150人を超えるのは難しいように思われますが、今後の推移が注目されます。ちなみに、公立校に限定した最高記録は天王寺の120人(1973年)です。

 

 東大・京大の最高記録を打ち立てたのはいずれも私立高校でした。一方で残りの5大学については地元の公立校が幅を利かせています。

北海道大

札幌北 200
(1981年)
北海道・道立

 1950年代より札幌南が、1970年代より札幌北が毎年のように100人以上の合格者を出しています。その中でも1981年に札幌北が達成した200人合格が確認できる限りでは最高記録です。近年、北大合格者数については札幌北がやや優勢な状況が続いており、2000年~2019年(20年間)で15勝、累計合格者数は240人程度多くなっていますが、東大・京大・医学部の実績では札幌南がリードしています。

 両校のほかに三桁合格実績があるのは、いずれも札幌市内にある札幌東、札幌西、札幌旭丘の3校となっています。

 

東北大

仙台第二 185
(1962年)
宮城・県立
仙台第一 185
(1964年)
宮城・県立

 新制大学入試が始まって以降、第一・第二の両校がトップの座を争う状況が続き、1962年に仙台第二が、1964年に仙台第一がそれぞれ185人の合格者を出し、それが最高記録となっています。1964年入試までは教育学部の定員が他の旧帝大と比べ多くなっていましたが、これは旧宮城師範などを前身とする教員養成系の課程が含まれたためです(65年に宮城教育大として独立)。両校の合格学部(50~60年代)を比較すると、第一は法・工・医、第二は文・教育・農の割合が大きくなっています。

 上記二校の他では山形東(山形)が1994年に100人の合格者を出し、これが宮城県外の学校として唯一の三桁合格記録となっています。

※資料によって合格者数が異なる場合があります。1962年・1964年の合格者数は、朝日新聞宮城版に掲載された合格者氏名一覧をもとに集計しています。工業教員養成所の合格者は含みません。

  

名古屋大

明和 196
(1967年)
愛知・県立

 名古屋市内の旭丘、明和が1950年代より競り合い、両校の合格者数は100人を超えるようになりました。60年代後半、名大については明和がやや優勢で1967年に196人という記録を残しています。同年の実績は、旭丘が東大71・京大32(名大156)、明和が東大10・京大19であり、最難関大については旭丘が圧倒していました。同時期には岐阜(岐阜)と東海(愛知)にも三桁合格の実績があります。

 その後は愛知県の主要学区で学校群制度が導入されるなどして、極端に多い合格者を継続して出す学校はなくなりました。2000年以降では一宮が142人(2006年)、刈谷が106人(2016年)の大記録を残しています。

※名大では1959年~1964年にかけて合格者出身校が非掲載であったため、この間の合格者数が不明です。判明分での最高記録となりますが、全合格者数の推移(1958年:925人→1961年:1045人→1964年:1244人→1967年:1646人)などから196人を超える記録はなかったものと判断しています。

 

大阪大

天王寺 123
(1969年)
大阪・府立

  他の旧帝大が地理的に分散しているのに対し、阪大(大阪)は京大(京都)に近く優秀者が分散するためか、他大に比べるとあまり目立つ数字は表れません。阪大合格者数が三桁に達したのは、確認できる限りでは北野(66年101人※)と天王寺(67年100人、69年123人、70年107人)の4例のみです。天王寺123人の合格者を出した1969年は東大入試が中止された年であり、同年は京大の難易度が非常に高まったことで知られます。前年実績と比較すると、京大が102人→67人と35人減、阪大が93人→123人と30人増であり、京大を避けた受験生が多かったのではないかと思われます。

 近年の実績では北野の81人(2017年)、茨木の73人(2019年)が目立ちます。

※サンデー毎日「特集・41年版大学合格者」によれば103人

 

九州大

修猷館 211
(1967年)
福岡・県立

 福岡市では、修猷館・福岡・筑紫丘が「御三家」として知られていますが、このうち筑紫丘が九大合格者数を大きく増やしたのは1960年代後半以降であり、それ以前は修猷館と福岡がトップ争いを繰り広げていました。その中で、1967年に修猷館の合格者数は前年比70人増の211人を数え、他校を圧倒しました。同年の東大26人も1972年(27人)に次ぐ記録であり、校史に残る高い実績を残しています。修猷館と福岡の合格学部(50~60年代)を比較すると、修猷館は法・工・医、福岡は文・理・農の割合が大きく、仙台第一・第二とやや類似した傾向がみられます。

 九大に100人以上の合格者を出した実績がある学校としては、上記御三家のほか、北九州市の小倉、県外では大分上野丘(大分)、甲南(鹿児島)があります。